図書
『令和版剣道百家箴』
「変わる時代、変わらぬ心 -受け継がれる心」
剣道範士 水田 重則(茨城)
私は父の勧めで剣道を始めました。最初は野球がしたくて、しぶしぶ通っていた稽古がだんだん面白くなり、大学では剣道を専門にしようと思うまでになりました。父は専門家ではありませんでしたが、稽古から帰れば「どんな稽古だったか」と必ず尋ねて励ましてくれました。そんな父が私に一番厳しく教えたのは、「お前は何者でもない」「常に謙虚であれ」ということでした。選手権大会に出場できることになり、前日に、小手に名札を縫いつけてくれる約束だった武道具店に催促の電話をしたのを聞きとがめられて「名前の付いた小手でなければ剣道できんのか」と叱られました。父自身が見栄や虚勢を嫌う人でした。飾らずに、自然体で、身の丈にあった生き方をせよと他のことでも繰り返し諭されました。それで私は、いつしか自分の鼻がちょっと高くなりかけると父の声が聞こえるような気がして、自分で自分を戒めるようになりました。郷里の佐賀を離れ、それまでまったく縁のなかった茨城県に来たばかりの頃から、周囲の先生方に温かく声をかけていただき親身なご指導をいただけたのは、今振り返れば父が私に叩き込んだこの教えのお陰だったのかもしれません。
剣道の手ほどきをしてくれたのは生家の近所にあった寺のご住職、中村 鉄仙先生でした。夜の寺の庭で先生と私の2人きり、暗くなれば先生の奥様が灯りを掲げてくれました。先生が教えてくれたのは足運び、竹刀の振り方など基本ばかりでしたが、私は不思議と退屈だとは思いませんでした。勝ち気な腕白盛りだった私に、剣道の礼法について最初に話してくれたのも先生だったと記憶しています。相手を敬い大切にする心が剣道の底流にあるということを、私はこの師から学んだように思います。
大学時代の恩師、惠土 孝吉先生にはとにかく厳しい稽古をいただきました。同級生からは今でも「入学した時お前はどこかふっくらしていたが、稽古でだいぶ細くなった」と笑われます。しかし一方で、惠土先生は剣道を理論で考える人でもありました。晩年は石川県能美市で地元の剣道愛好家の皆さんと剣道を楽しまれていましたが、研究会なども頻繁に開催され、その資料を送ってくださいました。事理一致への道を私は惠土先生に教えていただきました。惠土先生は2023年春にご逝去されました。時々お電話をくださり、いろいろな話をしてくださったことを懐かしく思い出します。
茨城県に来てからは、強化選手となって県内外の先生方にご指導頂きました。講習会や稽古会があるたびに「東京まで来いよ」と声をかけてくれた旧友もおりました。八段を頂戴してから社会体育指導員養成講習会の講師を拝命し、先輩講師の講習を夢中で拝見しました。こうした出会いのひとつひとつが、私の剣道に対する考え方を徐々に良い方に導いてくれたのではないかと考えます。
振り返れば、私は剣道を始めた当初から剣道を愛している人たちに次々と出会い、見守られて影響を受けながら道を歩いてきたのだなと思います。時に道を見失いそうになっても必ず手を差し伸べてくれる人が現れました。それは私もまた剣道に惹かれていたからに他ならないと信じています。
私もいま、地元の「剣道愛好家」の人たちとともに稽古を続けています。地元の道場でも社会体育指導員養成講習会でも、いろいろな人が様々な疑問や目標を持ってやって来て、真剣に、そして素直にそれを表現されます。表現方法は違っても「剣道が好きである」という気持ちをひしひしと感じます。それに応えようと必死になるうちに、私もまた彼らから多くのことを学んでいることに気づきます。
この60年の間に世の中の価値観はだいぶ変わりました。剣道にもまた変遷があったと思います。しかし剣道を通じて出会った師、剣友を一人一人思い起こせば、長い年月を貫いて変わらないものがあり、それが剣道の根幹を成していると私は感じます。無我夢中で稽古する心、謙虚に教えを乞い人間形成の道を歩こうとする心。私は父から、師から、両手で受け取ったものを、そんな心を持って稽古をしている人たちに手渡していきたいと思っています。(受付日:令和7年6月4日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。
を続けています。



