図書
『令和版剣道百家箴』
「師のことばに学ぶ」
剣道範士 二子石 貴資(兵庫)
私は昭和45年(1970年)4月、同郷(熊本)である鈴木 康功先生との縁で兵庫県警察に奉職しました。警察学校では真砂 威先生が先輩として入校されており、以後2人の先生には公私にわたりご指導いただくことになります。警察学校卒業後、半年間の実務経験を経て、剣道特別訓練員の指名を受け警察剣道の道へ進むことになりました。先生方は武専出身者をはじめ錚々たる指導陣でした。特練時代は試合に勝つことが使命で、相手の部位を如何に早く捉えるかに固執していたのですが、現役を引退して剣道の奥深さを知ることになります。それは七段審査失敗の連続で、後輩に先を越され落ち込んだ日々の経験によります。このことが自分の剣道を見つめなおす大きな転機となりました。六段まで苦労を知らず運よく昇段したことが甘い考えを生んでいたのです。丁度その頃、警察大学校術科指導者養成科に入校し、基本から学び直すことができました。
苦節5年、38歳でようやく合格した時の感涙は今でも忘れることがありません。真砂先生に合格を報告した時に「お前は苦労して良かったよ、どうせ八段受審は48歳だから」との言葉をいただきました。生意気盛りで、直ぐ天狗になる性格を熟知している先生からの有難い言葉でした。また八段審査の準備として一番の思い出は、日本武道館の高段者稽古会に鈴木先生と二人、日帰りで数回参加したことです。帰りの新幹線は反省会の場でした。お陰で2回目の挑戦、48歳で合格することができました。感謝、感謝です。
「当てる剣道から打つ剣道へ」
現役を退いて指導者になった頃、真砂先生との雑談の中で、江戸時代の庶民の娯楽であった矢場(的に矢を射る遊び)に例えて「弓矢と一緒で、たまたま当たってもなぁ」との言葉がありました。何気ない一言でしたが、私にとって深く考えさせられる言葉でした。既に、ご自身の剣道において、「打つ、斬る剣道」を実践されていた先生の修行信念から出た教えだったと思います。
鈴木先生からは「剣道の面白いのは、打った、打たれたではなく、技を出す前の攻め合いのところ」との言葉が心に残っています。剣道には「守って打つ」ことは成立しない。「攻めて打つ」ことは総ての技の基本であり剣道の総てである。この中に「打たせて打つ」も含まれています。「攻めて打つ」が表半分、「打たせて打つ」が裏半分といわれています。攻めて打つためには相手の構え、心を崩す必要があり、触刃、交刃の間から一足一刀の間までの気の攻防が大切であるということです。二人の先生の言葉は、当てっこ剣道から日本剣道の本質を目指す教えとなりました。
柳生新陰流「秘伝」三磨の位について
習~いい師匠につく(良師は3年かかっても探せ)
錬~稽古(1に稽古・2に稽古・3に稽古・一生稽古)
工~工夫(工夫のない所に進歩はない)
剣道修行の大事な三つの教えですが、私は「習」の位が修行の基礎で土台だと考えます。往々にして難関の八段に昇段すると周りに指導、注意する人がいなくなり慢心してしまう傾向にあります。
私の場合、多くの先生方に指導を受け今日があるのですが、二人の先生には未だに指導、助言をいただいています。
私には毎年新しい手帳に書き写す言葉があります。自戒を込めて忘れないようにするためですが、高段者にも参考になると思い紹介します。平成12年の八段研修会で、当時全剣連副会長だった森島 健男範士が講話された内容の一節です。
「八段になれば剣道を極めたつもりでいる。天下を取ったみたいなつもりでいる。八段は富士山で言えば五合目、剣道に終わりはない。先へ行けば行くほど難しい課題が沢山待っている。安心しないように『これからだ、これからだ』と思って修行すること。」
私も74歳になり体力・気力の衰えを感じる歳となりましたが、この教えを指針として遠く険しい道を歩き続ける覚悟です。
最後に
師との会話の中には豊富な修行経験からの貴重で尊い「ことばの教え」が多くあります。
聞き逃さないようにしたいものです。(受付日:令和7年5月26日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。
を続けています。



