図書
『令和版剣道百家箴』
「現代の剣道における課題と未来への提言」
剣道範士 金木 悟(東京)
はじめに
剣道は私にとって生涯の心の拠り所であり、人間形成に大きな影響を与えてきました。現在、中学生への指導を通じて、剣道教育の本質を改めて見つめ直しています。本稿では、私の修行の歩みと中学生指導の実践から、現代の剣道が抱える課題、そして未来の剣道愛好者へのメッセージを述べます。
剣道修行の歩み
剣道との出会いは、小学校時代に読んだマンガ『赤胴鈴之助』でした。しかし、稽古の場に恵まれず、剣道を始めたのは指導者がいない高校入学後からでした。指導者を求めて道場を巡り、稽古に没頭した日々は今も鮮明に記憶に残っています。
転機は大学2年、工学部から武道学科へ編入したときでした。そこで出会った師の教えは厳しく、しかし深いものでした。
・「一日三千本、タイヤ打ちをしなさい」
・「掛かり稽古は剣道を強くする」
・「道場は自分を磨く場、磨いて返しなさい」
・「寒稽古は道場に一番先に来ることが大事だ」
私はその言葉を疑うことなく受け止め、稽古に打ち込みました。大学教員として指導する立場になってからも、試合の勝敗より、師の教えである稽古そのものの価値を重視してきました。技を学び、磨く過程こそが人を育てると教えられたからです。
中学生剣道指導の現場から
1.部活動
近年、教員の長時間労働や生徒の多様化に伴い、部活動の地域展開が進んでいます。私は中学校の部活動で指導を続ける中で、「指導者は身体を打たせながら、共に汗を流すところに剣道教育がある」という教えを再確認しました。
部員は、小柄なA君と身長180センチ近い大柄なB君の1年生の2名です。B君は剣道に消極的で、いくら教えても『できない』『無理』と言い、前向きになれない生徒でした。B君が変化を見せ始めたのは、入部から1年ほど経ち私と初めて本格的に稽古をしてからです。
ある日「三本勝負」をしようと声をかけたところ、必死に打ち込んできました。私を打とうとする気迫が伝わり、私も自然と真剣になっていきました。真剣な厳しい稽古の中で、彼は何かをつかんだようでした。それ以来、稽古に遅れることもなく、また私に問いかけるようになりました。共に真剣に汗を流す体験が、「剣道への居場所」を与えたのだと感じています。
2.地域部活動
地域部活動では、次の目的を掲げました。
・自ら学び考える力と「生きる力」を育むこと
・誰もが参加できる仕組みを整えること
・子ども達の主体性を尊重し、支援に徹すること
・勝利至上ではなく、楽しく学び続ける環境を設定すること
・指導の基礎を標準化すること
・安全管理としてヒヤリハットを記録・共有すること
運用は、基本コースと応用コースを設け、参加時間や剣道着・袴の着用は任意としました。一方で、生徒の分散による連帯感の希薄化や技術レベル低下への懸念もあります。しかし、門戸を開き、主体性を育む教育は大切であると考えています。また多様な入り口を設けることで、剣道との出会いも広がり、学びに夢中になる契機をつくりたいと考えています。
剣道教育における課題
現在は「多様性の時代」であり、剣道の価値観も広がりを見せています。その一方で、以下のような課題も浮かび上がっています。
・勝利至上主義の影響:結果を急ぐあまり、稽古の過程や礼の実践が軽視される傾向がある
・連帯感の希薄化:参加形態の多様化が、共同体としての一体感を弱めることがある
・指導の質と標準化:指導者不足や負担増の中で、基礎の徹底と安全管理をどう担保するか
・学校と地域の接続:部活動の地域展開に伴い、師弟関係や道場文化の継承をいかに確保するか
これらの課題は、剣道が教育として果たすべき役割を再認識する示唆にもなっています。
未来の剣道愛好者へ伝えたいこと
剣道の本質である「礼」の精神は、時代が変わっても揺らぐことはありません。礼を基にその成果を社会で還元する営みが、剣道の未来を明るくすると信じています。
剣道は勝利のためだけにあるのではなく、人間形成を最優先に据える武道です。だからこそ、「指導者自身が学び続けること」「師弟関係を大切にすること」「質の高い指導と安全な環境を整えること」を大切にしてほしいと思います。
そして未来に向けては、剣道の礼節と相互尊重の精神を基盤に、次世代教育や異分野との連携を進めるべきだと考えています。この精神は、国際交流や平和文化の構築にも貢献し得るものです。未来の剣道を創るのは若い愛好者であり、私たちの使命はその歩みを支えることにあります。
おわりに
全日本剣道連盟広報・資料委員会からの原稿依頼に感謝申し上げます。本稿が、剣道を愛する皆様の学びの一助となれば幸いです。(受付日:令和7年5月30日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。
を続けています。



