図書
『令和版剣道百家箴』
「剣道修行体験」
剣道範士 東 一良(愛知)
私が剣道を始めるきっかけとなったのは小学生の時、地元・鹿児島県日置郡伊集院町の土橋小・中学校合同運動会で中学校での部活紹介があり、剣道部の先輩方が沢山の優勝旗を持って行進されるのを見たことにあった。自分も剣道をやってみたいと思い中学生の時に入部、当時の指導者は校長の竹下 義章先生であった。竹下先生は昭和天覧試合で活躍された有名な先生であり、このような立派な先生に教えて頂けたのは大変恵まれていたと思う。竹下先生には剣道の基本を習い、来る日も来る日も足捌きの練習ばかり。足捌きは難しく、竹刀を持つと更に難しくなった。剣道具をつけるようになるとお互いの打ち合いが楽しくてしょうがなかった。更に稽古に励み、2年生になって県下中学剣道大会で優勝し、勝利の喜びを感じた。3年生になると大会も多くなり、第1回南九州大会が宮崎県で開催され、鹿児島県代表で出場し優勝することが出来た。卒業後の3月には、茨城県水戸市で毎年開催される全国選抜少年剣道錬成大会で優勝し、地元伊集院町という小さな町で優勝旗、優勝杯を持ってパレードをしたことは今でも良い思い出になっている。
昭和41年4月鹿児島商工高校に進学し、剣道部に入部。稽古は午後3時半~5時半までの2時間。監督は矢崎 時雄先生で、基本と掛かり稽古を重視していた。矢崎先生への打ち込み・掛かり稽古は厳しいもので、打ち込んでも打ち込んでも「まだまだ」と続き、最後は足はガクガクで吐く手前まで続いた。その後、互格稽古をするという毎日であった。矢崎先生がいつも言われる言葉は「試合は腹だ、度胸だ、腹がすわっていないと勝てない、その為には腹がすわるような稽古が必要だ、厳しい稽古から腹がすわってくる、稽古をしろ」であった。
翌年2月に県下高校新人大会があり、試合は勝ち抜きトーナメント戦で、私は先鋒で出場し連続21人抜きしたものの、決勝戦では鹿児島実業高校に先鋒から大将まで5人抜かれて負けた。21人抜きしたものの嬉しくない高校デビューであった。
6月にインターハイ県予選があり、私は先鋒として起用され、全国大会をかけた決勝戦で鹿児島商業高校と対戦。2対2の代表戦になり2年生の私が指名されたものの、負けて全国大会出場を逃した。
3年生になり高校最後の年として稽古にも一段と熱が入ったが、インターハイ県予選で鹿児島商業に僅差で敗れて、全国大会出場をまたしてもあと一歩で逃がした。7月の玉竜旗大会が福岡県の九電記念体育館で開催され、参加数176校の勝ち抜きトーナメント戦が行われた。大将で出場し、準決勝では県下大会で勝てなかった鹿児島商業に勝ち、決勝戦は福岡の糸島高校に大将戦で敗れ、準優勝に終わった。
剣道を活かして続けられる警察官をめざして、大阪府警の採用試験を受けて合格したものの、丁度その頃に国士舘大学教授の大野 操一郎先生からの誘いがあり、国士舘大学への進学を決めた。体育学部に籍を置き、剣道部に入った。剣道部は全寮制であり、部員は500名以上であった。指導者は大野 操一郎剣道部長、矢野 博志監督で、大学外部からの指導者は日本の剣道界を代表される大先生方であった。早朝5時に点呼、道場まで駆け足、5時半~6時半まで稽古。名物の百本切り返しは身にこたえた。授業終わると午後4時から始まる稽古は基本、打ち込み、かかり稽古、地稽古と続いて午後5時半に終わる。大会が近づくと選手選考のためリーグ戦が行われ、午後7時を過ぎる事もあった。道場に向かうのに1年生はシューズを履かなくてはならないが、2年になるとツッカケ、下駄等の使用が認められた。2年生になって道場に向かう途中、水溜りがあり、それを飛び越えて着地した時、かかとに鋭い痛みを感じ、見ると瓶の破片がざくりと突き刺さっていた。このキズは後の剣道生活に深刻な影響をもたらすこととなった。結局4年間代表する選手にはなれず、右足かかとのケガに苦しんだ不本意な大学生活に終わった。
昭和48年4月に愛知県警に奉職。警察学校に6ヶ月入校。厳格な規律のもとで警察官としての必要な教養を受けた。10月に卒業し、一宮警察署に配属され、翌年2月に剣道特別訓練員を命ぜられた。このシステムは剣道の指導者養成を目的とするかたわら、選手強化の意図を持っている。1日3時間位の訓練は厳しく、学生時代に痛めた右足かかとに、踏み込むたびに痛みが走り、満足な稽古が出来なかった。このままでは剣道特練員としてやっていけないのではと不安になり、思い切って左足を前に上段を取ることになった。全てがゼロからの始まりで、私は鏡の前に立って、これまで見る機会のあった上段の名手・川添 哲夫先輩、千葉 仁先生の構えをイメージして構えた。「上手になるには稽古しかない」と思い、一宮警察署の道場に手製の打ち込み台を運び込み、特練の稽古後、毎晩打ち込み台を相手に一人稽古に励んだ。疲れて横になりそのまま眠り込んでしまい、目が覚めてあわてて寮にもどることもあった。「稽古はウソをつかない、努力は必ず報われる」と信じて稽古に励んだ。昭和49年全国警察剣道大会が日本武道館で行われ、選手として出場。その後15年連続出場。この間に全日本剣道選手権大会で優勝(昭和58年)、準優勝(昭和62年)できたことは、今では良い思い出になっている。県警退職後は、県の稽古会に参加して会員の皆さんと楽しんでいる。
上段は「火の構え」と言われる。火の構えは常に相打ちの覚悟で相手と対峙しなければならない。気迫で負けると勝負にならない。上段を取って少しでも動揺したり、相手に攻め込まれたら絶体絶命であるから、上段の気位を忘れない事が大切である。又構えで相手を読む事も大切である。お互いが気を張りつめた状況で、なかなか打突に踏み切る事が出来ない時などは、相手に隙を見せる事で相手はそこを打ってくるので、そこに乗る。相手に攻め勝って呼び込んだ最高の打ちが出る。これこそが上段としての価値をそなえた技だと思う。
稽古は、常に先の気で稽古する事。先の気は勝つ意欲であり、先の気がなければ攻防を効果的に行う事が出来ないから、稽古においては先の気で行う事が大切である。又強い相手を求めて稽古するよう心掛けることも大切である。
指導者としては、信念と愛情を持って行う事。信念を持つには剣道の意義や目的を熟知し、剣道が人間形成のために効果的である事を認識しなければならない。また、指導者は稽古に励むと共に良識を養い、身を修めるよう心掛けなくてはならないと思う。(受付日:令和7年5月26日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。



