図書
『令和版剣道百家箴』
「ともに學ぶ」
剣道範士 滝澤 建治(神奈川県)
はじめに
私は、太平洋戦争開戦1か月前の昭和16年(1941)11月に生まれました。戦時下の東京で幼少期を過ごし、焼野原となった東京で、剣道が復活する前の昭和26年(1951)春、小学3年生・9歳の私は、父・滝澤 光三(後に範士九段)に連れられ、皇宮警察の濟寧館に入門(子供は私一人だけ)しました。
当時、濟寧館師範室には佐藤 貞雄先生*1、小梛 敏先生*2、佐土原 勇先生*3、宇貫 元雄先生らが、若手の特練の方とともに剣道再開を期して「やるぞ」といった気概に満ち溢れていました。外来の先生では白土 留彦先生*4、小沢 丘先生*5、佐藤 卯吉先生*6、湯野 正憲先生*7、中野 八十二先生*8、渡辺 敏雄先生*9、数年後に開催された第3回全日本剣道選手権大会で優勝する中村 太郎先生*10がおり、多くの先生が剣道を思い切ってできるこの場所に集まったのです。月に一度、木村 篤太郎先生(全日本剣道連盟初代会長)が端正な背広姿でお出でになり、全日本剣道連盟発足の準備をされていました。
1.戦後初の天覧試合
昭和31年5月20日、皇宮警察創立70周年を記念して戦後初の天覧試合が濟寧館で開催され、決勝戦は阿部 三郎先生*11と父が、主審・持田 盛二先生*12、副審・斎村 五郎先生*13と小川 金之助先生*14のもとに行われ、仮設のひな壇観客席で多くの剣道関係者が見守る中、父が優勝しました。このとき、母も皇宮警察学校で生け花を教えており、決勝戦に駆けつけて、満員の観衆の肩越しに夫の天覧試合優勝を見届けました。母は次の歌を残しました。
間合いつめて 攻め立つる夫の試合ぶり かたづを呑みて 吾は見つめゐき
裂帛の 気合と共に面にのびし 技きまりつひに 夫は勝ちたり
私は、父の優勝は嬉しい、母が見られたのはもっと嬉しい、と記憶しています。
2.学生時代
九段中学では剣道部は無かったので、剣道は濟寧館で続け、巣鴨高校では熱血漢の佐々木 二朗先生に剣道だけでなく物事の道理を沢山教えて頂きました。また、明治大学では1年生のときは選手にはなれず「稽古するしかない」と決心し、大学のほか巣鴨高校、妙義道場や、鈴木 幾雄先生*15の中心館道場、その他友人を頼っての朝稽古など必ず1日2回の稽古を心掛けました。その結果、2年生の関東大学新人戦では大将を務め優勝。その年の秋田国体東京チームの先鋒として出場できました。そのチームには、次鋒が警視庁の中村 毅先生*16、中堅は皇宮の佐野 昭二先生(後に北海道警師範)、副将は全日本選手権優勝の伊保 清次先生*17、大将は法政大学師範の丸山 義一先生*18、監督は警視庁師範の伊藤 雅二先生*19という、歴史に名を残す錚々たる先生方がおられ、素晴らしい稽古をお願いすることができました。
3.海外経験と「厚木国際剣道祭」
未だ海外旅行が自由化されていない昭和38年、全日本学生剣道優勝記念で台湾を訪れ、社会人になってからもフランス、ベルギー、オランダ、スペイン、イギリスなど数十回訪問し、稽古と形稽古を行いました。私の講習会は、指導のはじめに「日本剣道形」、つぎに「木刀による剣道基本技稽古法⇒竹刀での基本技⇒基本稽古と地稽古⇒審判講習⇒経験者の試合⇒初心者の試合」と順序を決めています。それは、日本の剣道の発展の順序をなぞりつつ「日本伝統文化の薫り」を伝えられればと考えるからです。これらの積み重ねが、平成26年11月に地元で開催した「厚木剣道祭」につながりました。テーマを「何をするのも全員一緒」として、アジア、アメリカ、ヨーロッパなどから13か国、70名の外国人が参加しました。「演武会」では各種武道披露と交流試合、子供・大人と外国人、約450人の大合同稽古会で親睦を深め、その後も長い交流が続いています。(この「厚木国際剣道祭」の模様は、厚木剣道連盟のホームページに詳しく載せています。)
4.形稽古と少年指導
剣道復活直後の中学生のころ、現在の日本武道館の場所にあった警視庁体育館で、打太刀・斎村 五郎先生、仕太刀・持田 盛二先生の、ゆったりと大きく、気品を感じる美しい日本剣道形に、子供心ながら魅了されました。数回拝見できた貴重な財産を、子供たちにも伝えたいと思っています。
現在は父の建てた神奈川県厚木市の思斉館滝澤道場を受け継いで、少年指導を行っております。私の道場では月に3回、1時間半の形稽古だけの日があり、「木刀による剣道基本技稽古法」、「日本剣道形」、「一刀流中西派組太刀」に取り組んでいます。形稽古に参加する子供たちは休みません。何か心に響くものを感じているようです。形稽古を通して、昔の人が修行したその片鱗に触れることは、日本文化を伝えてゆくためにも、大切な稽古だと考えています。
「形」は、順番を覚え、間違いなくできるようになったら、その後は継続して稽古する方が少ないのですが、刃引きを使い、繰り返し、無心に打つうちに、形を制定された先生方のお考えを想像して楽しむことができます。刀の歴史と、日本の伝統美に触れることにもつながり、「自分と伝統が自然に一致」したような、良い気分を味わうこともできます。
5.武道の古典に学び、次代に伝承したい
『五輪書』を始め古典の武道書は「言葉の宝庫」です。この本を読み、形稽古を繰り返すうちに「剣道の、美しさは、一致の中から、自然に、醸し出される」という言葉を思い浮かべることができました。 武道の世界に連綿と伝承されてきた武道書の「宝物のような言葉」を「日本の伝統に息づく、美しい言葉(文字)」として、その魅力を広めることが出来たら、剣道の理解者を増やし、剣道人口増加に結び付けられるのではないでしょうか。
私は、茨城県の中里 誠先生に教えて頂いた言葉を道場の壁に掲げ、子供たちの心に火を灯すように説明しています。
「負けないことは立派 負けたことに負けないのは なお立派」
また「発声練習」として、子供たちに唱和させている古歌があります。
「不器用も 器用もともに 実ありて 功が積もれば 道を知るべし」
(石舟斎が残したと伝わる)この言葉も、子供たちに「継続することの大切さ」の教材に使っています。
おわりに
少子化と多様化の波に晒され、幼少年の剣道人口は減少して、私の剣道場でもこの50年間で、幼少年は90人台から、今は20人台と4分の1になっています。昔は無かった子供たちに人気の習い事の多様化を考えると、この減少率は当然と捉え、悲観することなく、出来ることから手を打ちたいと考えます。
剣道を始めて75年が経ちました。続けてきたからこその素晴らしい経験をさせていただきました。これからも「ともに學ぶ」をモットーに掲げて、進んでまいります。(受付日:令和7年6月1日)
*1 佐藤 貞雄(のちの範士九段)
*2 小梛 敏(のちの範士八段)
*3 佐土原 勇(のちの範士八段)
*4 白土 留彦(のちの範士九段)
*5 小沢 丘(のちの範士九段)
*6 佐藤 卯吉(のちの範士九段)
*7 湯野 正憲(のちの範士八段)
*8 中野 八十二(のちの範士九段)
*9 渡辺 敏雄(のちの範士八段)
*10 中村 太郎(のちの範士)
*11 阿部 三郎(のちの範士九段)
*12 持田 盛二(のちの範士十段)
*13 斎村 五郎(のちの範士十段)
*14 小川 金之助(のちの範士十段)
*15 鈴木 幾雄(のちの範士八段)
*16 中村 毅(のちの教士八段)
*17 伊保 清次(のちの範士八段)
*18 丸山 義一(のちの範士八段)
*19 伊藤 雅二(のちの範士九段)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。



