図書
『令和版剣道百家箴』
「観の目」で心を読む
剣道範士 宮原 昇治(静岡県)
<勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負け無し>という言葉をご存知だろう。負けた時は打たれた原因が明確に理解できるが、勝った時には何故あそこで技が出たのか、不思議に思う時がある。
高校2年時に強豪校と対戦した時だ。相手は「始め」の宣告と同時に打ち間に攻め込んで「はっ」とした時には何故か相手の面を打っていたのである。打った自分に驚き、その後は簡単に2本取られた。何故面に出たのか、出れたのか、不思議である。そして、それと全く同じことを20代の中頃に経験している。反射による面、としか言いようがない。
これとは違うが、不思議な経験がある。平成10年9月、岐阜県大垣市で開催された全日本東西対抗剣道大会に出させていただいた時だ。沖縄県の先生と対戦したのであるが、先生から1本先行され、且つ鍔ぜり合いから竹刀を巻かれ、私の竹刀は本部席近くまで飛んでいった。それまで鍔ぜり合いになったら阿吽の呼吸で相互に間を取っていたのが、いきなり竹刀を飛ばされたのだ。その時、私は不思議に冷静で、審判の「止め」の宣告に悠然と落ち着いて竹刀を拾い、ゆっくり開始線に戻った。反則の宣告を受け、「始め」の宣告で間をつめた時、先生の気迫が薄れていると感じ、すかさず面を決めた。残り時間は少なく、先生が必ず仕掛けて来ると察し、出小手を狙っていた。案の定、先生が手元を上げたので、逃さず小手を打ち、勝ちを得た。この時、私は先生が手を上げ仕掛けてきたところの小手を打った、と思っていたが、家内の取ったビデオでは、全く違っていた。私が先に手元を上げ小手を打ちに踏み込んだところに、先生が手元を上げていたのだ。私に見えた先生の仕掛けは何だったのか。私には、先生の手元が上がるのが見えた、そして出小手を打った、としか言いようがない。得難い経験をさせていただいた。
故井上 真三郎先生に其の内容を話すと「未発の発を打ったか。」と言われ、未だ発してないがまさに発しようとしているところを「未発の発」ということを教えられた。
それからしばらくは、「未発の発」を打つべく相手に集中することを意識して稽古をした。しかし、打ってもそれが「未発の発」であったのか、否かは判断の仕様がなく、ひたすら起こりの技を打っていたと思う。その翌々年に八段に昇段できたのは、「未発の発」を打つべく稽古したお陰ではなかろうか。
「未発の発」が出た時の状況を考察してみよう。あの時、自分でも不思議なのは、竹刀を本部席近くまで飛ばされた時に、いささかも動揺しておらず、むしろ冷静になったことだ。初めて臨んだ大舞台で竹刀を飛ばされれば、慌てて冷静さを欠き、相手が見えなくなってしまうのが普通であろう。性格的には至って小心で、大それたことなどできない自分である。瞬時に開き直ったのか、それからは冷静に状況判断ができている。そして相手に集中することにより無心となり、「観の目」が働いて相手の心を読むことができ、動かぬ先の動きが見えて「未発の発」が生まれた。
「観見二つの目付け」、「観の目強く、見の目弱く」はご存知だろうし、「観の目」で稽古されていると思う。しかし、普段の稽古で相手の心を読めるほど「観の目」を効かせているのだろうか。高段位審査で思うことだが、自分が打つためのあれこれを考え、なんとか打とうとしている方は、相手を打てていない。合格する方は相手に集中し、相手を捉えて技を出している。相手に集中し「観の目」を働かせて相手を読み、打突の好機を探ることが大切である。
「観の目」は、稽古を積めば自然と養われよう。しかし、打突の技術を高めることは実践しても、「観の目」を強化している人はいない。「一眼二足三胆四力」で目は一番大切であるとされているが、目の鍛錬を説く書物はない。「観の目」を鍛えるために特別なことはないのだ。ではどうすればよいか。それは相手に無心に集中すること、相手の心が読めるほど集中すること。これが常になれば、自然と相手が見え、捉えることができる。
八段をいただいた時、ある人から内容について言われたことがあるが、私自身は其の内容を知らない。八段を取得された方で、ご自身の内容をご存じない方が結構おられる。皆さん無心で立ち会い、合格されたのだ。事に於いて、あれこれ考えることは無駄でしかない。(受付日:令和7年5月25日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。



