図書
『令和版剣道百家箴』
「剣道における課題と剣道愛好者に伝えたいこと」
剣道範士 田中 早苗(岡山県)
人類の歴史は、過去・現在・未来と続き一時も止まることはない。過去なくして現在なし、現在なくして未来なし!時代は流れ流れて大きく変動してきた。しかし、その底流には必ず一定にして不変のものが厳然と存在する。大事なことは、過去の良さを現在にいかに生かすかにある。さらに、現在より未来へと一層良き姿として繋ぐかにある。
我々が自ら選び修錬している剣道には、不易とも言うべき独自の価値観が存在する。これは、他の競技よりは数段に多く、またその中身も特別に濃いものであると考えられる。
剣道は剣道防具を着用し、竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられがちだが、本来は、稽古を続けることによって、心身を鍛錬し立派な人間を目指すという、日本古来からの伝統文化たる「武道」であるはずだ。
現代においては、剣道より遥かに進歩した競技種目がある。かといって、剣道の目的を、ただ単に敵を制し身を守ることとするならば、それは大きな誤りである。剣道には、もっと高く、もっと深い精神的なものがある。しかし、これを得ようとするには、やはり敵を制し、身を守るという、武道としての建前を離れることはできない。
この剣道を学ぶにあたって、未熟者の齢80を数えようとしている私が、特に考えていることは、「生涯剣道」の教えを実践することである。人によって剣道を始める動機に違いはある。例えば、武道として剣道を修める人、体育とか健康という面から剣道をする人、ただ何となく好きでする人、竹刀打ちの勝負に興味を持つ人など、種々様々である。
剣道を長く続けていると、誰もが剣道の魅力に取り付かれてしまうのである。それは、精神修養と身体の鍛錬とが同時にできて、しかも国内はもとより、世界中のたくさんの剣友と知り合いになれ、交際の幅が広がるからである。それのみならず、剣道そのもの(竹刀を持って相手と打ち合う競技)が生涯の恋人ともなるのである。
全日本剣道連盟が主催する全日本剣道演武大会には、100歳を超えられた長老が、高齢をものともせず、自身の腕前を試すために出場しておられる。また私の警察時代の師匠は、93歳まで道場で稽古し、100歳で亡くなるまで剣道理論を工夫しておられた。これらはまさに「生涯剣道」の教えを実践された逸材の好事例であり、身をもって我々に手本を示された。勿論、一口で「生涯剣道」を実践するといっても、それは容易いことではない。本人の努力と何事にも挫けない精神力が必要であると同時に、家族(特に伴侶)の理解や多くの剣友に恵まれるなど、剣道を行うための環境が整っていることも重要である。
さて、今や剣道そのものが危機に直面している。剣道人口の減少状態を考えるとき、少子化の影響によるもの(特に若年層の剣道離れ)や地域指導者の高齢化、物価高騰による剣道用具や道場使用料高騰等、様々の要因が考えられる。また、小学生で剣道を始めた剣士が、中学生、高校生、大学生さらには社会人へと成長する中で、次第に剣道から離れてしまう。せっかく入門された方々に対して、末永く続けてもらうためには何が必要なのかを考えてみた。そこで、高校時代の恩師にお願いして、岡山県剣道連盟の歌『今道場に立つ』を創ったのである。この歌を歌うことで、私自身、今日も稽古が出来ている。そして、明日も、明後日も・・・というように、この歌に勇気づけられていると同時に、「生涯剣道」の実践に役立てているのである。(詳細が必要な方は岡山県剣道連盟まで)
少年剣士の指導者たちも、目先で勝つ剣道の指導をするのではなく、生涯にわたって剣道が持続できる指導をお願いしたい。その指導を受けた少年剣士達も、「生涯剣道」を理解してくれたらと、念じてやまないのである。
剣道は、故あって一度剣から離れた人であっても、環境が変わりその気があれば、再び竹刀を握ることができる。剣道界には、そういう人たちを大切にする風潮がなくてはならないと考えると同時に、そういう人たちにおおいに期待をするべきである。
「剣道に入門させたい」と、子供を道場に連れてくる親御さんが揃って言う言葉に「礼儀正しい子にお願いします。」というのがある。剣道にとって、礼法は欠かすことはできない。「禮」とは、豊かさを示すと書く。剣道になぞらえれば、剣道をしっかり修業して心が豊かになったところで、実社会でそれを示す(実践する)ということである。
人間は、だれでも綺麗な心を持っているが、これを死蔵しないで引き出すようにするのが修業なのである。一心不乱に稽古に励んでいる人、生涯剣道を貫くべく努力を重ねておられる人は、この礼法がしっかりと身についている人が多いと言える。
結びになるが、人生100年時代の剣道家にとって「生涯剣道」を貫くことは、並大抵のことではない。しかし私は、私の体が動く限りは続けていきたい。年を取るにつれ、段々と動きが鈍くなり、体のあちこちの故障が目立ちながらも、なおかつ剣道をやる。剣道は数々の歴史を創ってきた。この素晴らしい伝統文化である剣道(武道全般~武士道精神)が日本において廃れていくことがあってはならない。
地域社会を愛し、社会平和を持続させるためにも、一人でも多くの会員を集め、未来永劫に剣道を継承することが日本にとって、私にとってまた剣道愛好者全ての者にとって、重要な責務と考えている。(受付日:令和7年5月21日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。



