図 書
現代剣道百家箴
文武不岐
小澤 武次郎(剣道範士八段)
◯ 太刀振りて何するものと人問はば御国守れる業と答えよ
◯ 打つ太刀も打たるる太刀も何かあらん国守る魂をよし磨く身は
私の育った水戸東武館教育の基本を示す道歌である。剣道家の家に生れ、幼少より竹刀に親しみ、60年の歳月が流れた。実父(故剣道範士横松勝三郎)が、館出身の縁故にて、中学時代、学校休暇中は殆んど館での生活で、剣道の中にとけこんだ少年期であった。青年期4年の京都武専(大日本武徳会武道専門学校)の生活は、又吾が生涯中の、悔なき青春の一時期であった。
徳川時代水戸藩教育の中心であった「弘道館」は、藩九代の名君烈公斉昭(徳川斉昭)の建設によるものである。館の教育の指針である「弘道館記」の 中に次の文がある。「神州の道を奉じ、西土の教を資り、忠孝二无く、文武岐れず、学問事業其の効を殊にせず、神を敬い、儒を崇び、偏党有る無く、衆思を集め群力を宣べ、以て国家無窮の恩に報ず」この文が「弘道館」教育の中心である。まことに保守進歩の思想を渾化し、大中至正日本教育の大道を唱道した名文である。館は百数十年の歴史を経て全容は残っていないが、正門と正庁の一部が現在史跡として残っている。上の文中特に武道教育に関する「文武不岐」の教えは、近代武道教育にも通じる名文といわれる。武道とは文字の構成から考えてみると、武は「戈」と「止」より成り、人君が干戈の威力により、兵乱を未発に止める義である。即ち治国平和の義である。道は「首」「辶(しんにょう)」の二つから成り、「首は」は到達点目的地であり、「辶」はそこに達する筋みちを示すの意である。即ち武道の一つである剣道は、古来より伝わる剣技即ち術を使って身心の鍛錬を行い、その大事な目的は、人間行為の規範を学ぶ手段の一つであることを示している。文による学問と、武による実践力とにより、人格完成を期して、文武一如の教育が水戸学の教育指針であることを明示している。
冒頭にあげた道歌は、館創立者小澤寅吉先生の作であり、館教育の指導精神を示したものである。館は水戸藩教授方北辰一刀流千葉周作先生の流れをうけて、同流を継承し明治大正に亙り、故内藤高治範士を始め多数の名剣士を生んでいる。皆この精神を具現された立派な武道家であった。現館長もこの精神をつぎ、現在「文武不岐」を館の指導精神とされ、青少年の武道教育に邁進されている。
近代剣道教育においても、技術の探求が重要分野であることは言をまたないが、その教育の主眼とするところは、「人の道」の研鑽にあると深く信ずる者である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。