
図書
『令和版剣道百家箴』
「師の教えと私の剣道」
剣道範士 福本 修二(神奈川県)
16才から剣道を始めて早70年、顧みると野球少年であった私が剣道を始めたのは、当初、保安大学校(現在防衛大学校)に受験を希望していたためです。家の近くにある、警視庁谷中警察署で剣道を始めることになりました。私は野球で捕手を務めており、面・小手・胴・竹刀がマスク・ミット・レガース・バットに類似しているので、抵抗なく始められました。
谷中警察には島田先生という助教が在籍しており、指導のおかげで二段まで合格することができました。保安大学校を受験しましたが不合格でした。兄が在籍していた高校に坪井 三郎先生がおられ、将来剣道が学校教育に入り、その時に指導者が必要になるので東京教育大学へと受験を勧められました。受験した結果、無事合格し剣道の道に進むことになりました。
春休みに剣道部から春合宿の勧誘が届き、参加することにしました。高校時代に本格的な剣道活動をしたことがない私には、技の名称も理解できず、驚きと不安の連続で、ただ必死に稽古をするだけでした。帰宅後、果たしてこのままだと剣道部は勿論のこと将来指導者としてやっていけるか迷っていた時、母曰く「至誠天に通じる」で、自分で決めたからには誠心誠意頑張れとのことで、剣道部での生活が始まりました。体育学部は幡ヶ谷に校舎があり、1・2年生は地下鉄茗荷谷駅前の大塚校舎で教養科目の授業があり、3・4年生は幡ヶ谷校舎で専門科目の授業がありました。
3年生になり本格的な専門科目に入り研究室に入ることになり、剣道部の同期もそれぞれの研究室に入りました。私と小澤 一二三君は中野 八十二先生の格技研究室に在籍しました。先生1人、学生2人。「中野の生粋の弟子」と自賛していました。お陰様で中野先生から『五輪書』・『孫子の兵法』・『闘戦経』等、次から次へと丁寧に解説され、一人休めば一対一の時でも手を抜かず、黙々と授業をなさいました。授業が始まる前に剣道の技術に関する質問をすると、中野先生は兵法書を解読する時より生き生きとされ、解りやすく説明して下さりました。私たちは授業時間の3分の2を「剣道特講」と名付けて指導していただくことにし、その度に剣道の魅力が高まり、その上、強くなった気持ちになって稽古に臨みました。先生は「強さと旨さ」をお話になられました。「たゆまざる練習は強さを生み、たゆまざる研究は旨さを生む」と申され、私の卒業論文作成の際に「剣道の技術を自然科学分野にある動作分析で裏付けてみなさい」と言って坪井 三郎先生を紹介されました。
坪井先生とは、大学受験の際、体育学部をお勧め頂いた方でしたので、親しみを持ってご指導いただき、卒業してからもご指導いただき、特に研究には厳しい反面、やさしさと思いやりのある、私の研究の師でもありました。私が卒業するとき中野先生から「君は大学の教師に向いているから2、3年真剣に剣道と研究に打ち込みなさい」と言われ、週3回は研究生として中野研究室に通い、毎朝、講談社にある野間道場での稽古が義務付けられました。野間道場には持田 盛二十段を筆頭に、佐藤 卯吉・森田 文十郎・羽賀 準一・鶴海 岩夫・望月 正房先生など日本の剣道界の総師が一堂に会していました。
中野先生から「ここに朝早くから来ている人は、自分のために来ているので君を指導しようと思っている人は一人もいないので、毎日何人か決まった先生にお願いして、その先生方を研究しながら自分の力をつけていくことが必要です。このような努力を続けているといつかは君の剣風が作られ、誰と稽古しても対処できるまでに上達するから頑張りなさい。君は僕が推薦する人と毎日稽古をしてその先生の剣風や攻略法を考えてみなさい」と言って佐藤 卯吉・鶴見 岩夫・望月 正房・伊保 清次・中野 八十二の各先生にお願いするようになりました。
最初は先生方の身体に触れることもできず毎日が試練でした。2年間の稽古を経てから先生方の動きが次第に落ち着いて見えるようになってきたある日、椅子に座っておられた持田 盛二先生が「福本さんよくなられましたね、これからも頑張ってください」とお言葉をいただき感激しました。その夜、中野先生から明朝稽古に行くので東京駅中央口で待っているとのご連絡をいただき、翌朝先生とご一緒に、金杉橋にある小西道場に行きました。そこは持田先生他、慶應義塾剣道部の先輩方が集まっての稽古会でした。帰路、今日の稽古は私が慶應義塾にお世話になるためのお目通しであり、慶應剣道部の先輩方が納得して頂けたことを中野先生から知らされました。
中野先生は、自分の弟子に対して、学生時代から社会に出てからも親身になって剣道や学問に導いてくださっていたことを知り、私は恩師の心遣いと指導者のあるべき姿を示されたことに感動し、敬服と感謝を致した次第です。現在、慶應義塾をはじめ三田剣友会の皆さんと交友があるのは中野先生のお導きによるものです。
剣道はひたすらに稽古をすることも大切ですが、理論に裏付けられたものを持って稽古をしなければならないと思います。私は「理を知り、機を智り、事に励み、道を楽しむ」を剣道のみならず有意義な生活を送る為にも通じるものと思います。剣道においては技や竹刀操作の方法を知識として知っても、どのような機会に打突を出すか、そのタイミングや隙を悟る知恵がなければ有効打突につながらないので、事(稽古)に励むことによって掴むことが大切です。
稽古をするときは、剣先を相手の中心につけ続けていることではなく、何時でも相手の中心から気持ちを離さず堂々と中心を攻め、常に相手に気持ちを正対させて勝負することが大切です。日本の伝統文化である剣道を、宗主国として日本はもとより海外の剣道愛好者や人々に知ってもらうためには、より高い水準の剣道を示すとともにその魅力をアピールすることが必要です。
私は全日本剣道連盟、国際剣道連盟の役員としてその仕事に携わる機会を頂きました。剣道の正しい普及と発展を考えたときに、変えるべきことと、変えてはならないことを明確にし、整理しながら対処してきました。例えば試合における判定が解りづらいからと有効打突の要素を一つでも変えたら、それは伝統文化の剣道ではなくなることになります。
これからは、少子化対策や高齢化社会に対しての対策を検討し、子供には魅力ある事例研究とそのアピールをすすめ、高齢者には医・科学委員会の協力のもと健康維持につながる剣道の普及に努める資料の提供をしたらよいと思います。剣道の捉え方には、健康維持のため・余暇の善用・チャンピオンスポーツ・学校教育の手段・躾・事業生産力の向上等、人や環境によって異なっていますが、剣道の精神や技術は変わりません。一人一人が自分に合った選択をして、稽古を通して人生を楽しむことが大切だと思います。
私は「年老いて未だ求める剣の道、我が人生、耀き満る」の心境で剣道を愛してやみません、以上。(受付日:令和6年11月11日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。