図 書
現代剣道百家箴
「直心是道場」
野田 孝(剣道範士八段/全剣連副会長)
私の座右の銘として、日夜反省し、精進して居ります最も貴い教訓であります。
今から15年も前になりましょうか、私が阪急百貨店の社長に就任致しました際、お祝として京都の妙心寺(臨済宗の総本山)の当時管長であった古川大航老師から贈られた一行であります。
私の郷里は甲斐の国(山梨県)でありまして、菩提寺は善応寺と申します妙心寺の末寺であり、そんな関係もございまして、色々の面でご親交にあずかり、又、私の剣道に対する理解も深く毎月二遍位お伺いすることが、最も心を豊かにし、楽しくも貴いひとときであったものでございます。又、老師もその機会を待たれるかの如く、侍僧に、野田さんから電話でもなかったかと尋ねられることもしばしばであったと伺ったこともあります。
さて、私は幼少の時から剣道を、直心影流の師範から手ほどきをされ今日に及んで居るのであり、又、武道に関係する文献もある程度紐解いて参りました心算でありますが、曾てこの一行に接したことがございません。しかし、何とか出所真意等を学びたいと色々調べてみましたが、どうしても解せなかったのであります。
その直後、今は故人となりましたが、宮田正男先輩が世話役となり、東京で斯道の最高権威者をはじめ20数名で私の社長就任祝賀会を開催して頂き身に余る光栄に浴したのであります。誠に好機会と存じましてこの一行につき教えを乞うたのでありますが、諸先生方も曾て接したことはないとのことでありましたので、帰阪後早速老師に連絡をとり、翌日伺ったのであります。私のお伺いする時間はいつも4時から5時と大体定められて居りました。お住居は大鵬軒と申しまして、侍僧の案内で本堂の回廊を経て大方丈の間、小方丈の間の回廊を通って参りますと、小方丈の間とその大鵬軒との間にはささやかながらも実にものさびた築山があり、その内縁に文机をはさんで椅子席が設けられており、老師は袈裟をかけ4時より泰然と奥の椅子に控えて居られるのが常でありました。
その日の老師の問は、「入不二とはこれいかに」これは曾て学んだことがありますので、 「極意に入るをいう」と。老師のお返しは「黙然」と。これ名答と解したので、私は直ちにたたみかけて、「直心是道場とは末だ学ばず」と申し上げますと、老師はつと立たれ、床の間より維摩経の一巻を取り出し音吐朗々と読み聞かされたのであります。
即ち、釈尊の高弟の維摩居士と光厳童子の出合い頭の問答の一節であります。光厳童子が城内から出て来られる、維摩居士が何れかより帰って来られる。そこで童子「何れより来たるや」と。居士「道場より来たる。」童子「何れの道場より来たるや。」居士「直心是道場」と。読み終わって再びつと立ち上がり床に納められる。この一節で篤くと理解されたのであります。
私共さまざまな日常の生活に活動して居りますが、その道に直心を以って精進するならば、道場に於いて修業すると変らぬ立派な人柄を培うことが出来るという、所謂剣道に於ける「平常心是道」の教えに相通ずるものであり、剣禅一致の妙諦を無言の内に教えられ、以来一層老師に対する尊敬の念は厚く、ご尊容に接する機会を何ものにもかえがたい豊かなひとときと楽しみにして居たのでありますが、不幸にも老師は98歳の天寿を全うされたのであります。
しかし乍ら、爾来、この一行の精神は、私の人生行路の指針となって居りますことをご披露申し上げさせて頂きます。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。