図 書
現代剣道百家箴
為せば成る
小林 嶺造(剣道範士八段)
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の、為さぬなりけり」古より伝えられた人生の教訓でありますが、これを悔なく実行することは、仲々難しいことであります。
私が剣道を志したのは、大正10年に、山口県立山口中学校に入学した頃、当時、山口高商の先生であられた「故田原柳一範士」に奨められたのがきっかけで、在校中は、主に、故飯原藤一、藤枝宏両範士の指導を受けたのであります。
兵役も終って昭和5年大阪府巡査を拝命し、7年より故越川秀之介九段範士に師事し、本格的に修業するようになったのでありますが昭和14年4月、修業の甲斐あって、初めて難波警察署(現浪速署)の剣道教師となりました。
ところが、間もない同年7月、応召を受けて中支(現中国、華中)に派遣され、12月末、左胸部に貫通銃創を負い、野戦病院に収容される破目になって了いました。やがて、漢口(現武漢市の北部地区)の陸軍病院に後送され、治療に専念することになったのですが、その頃、治療にあたられた軍医が、私の腕を持ち上げて「君は恐らく生涯剣道は出来まい」と言われました。
剣の道に、一生をかけた私にとって、余りにも苛酷な言葉でした。私は、この軍医の言葉を耳にした途端、不覚にも涙を流して了いました。
軍医も暗澹たる私の様子に、慌て、「悪いことを言った」と謝りましたが、私も随分と思い悩んで1週間程は眠れませんでした。
15年3月に、内地に還送され、滋賀県の臨時大津陸軍病院に入院させられましたが、快復は思うに任かせず、左腕は、三角筋の神経が切れておって、自力では殆んど動かなくなって終いました。
間もなく、石川県の山代温泉に3ヶ月程、温泉療養を受けましたが、丁度そのころ、運動のための散歩中、小学生の土用げい古をやっているのをみて心躍るまま指導の先生にお願いして防具を拝借し病衣のままけい古をして見ました。
「何とか竹刀が握れる」と云う自信が漲りました。私の心は、再起への感激に奮いました。
16年2月に1年有余の療養生活を終り、大阪府警察に帰って参りました。左手の握力はなく、左腕は殆んど動かなくてけい古は人一倍苦労しましたが、この時ほど「為せば成る」の教訓を肝に銘じたことはありませんでした。それ以来「為せば成る」を私の座右の銘として一生懸命にけい古に精進して居ります。
人間、長い人生の間には、一度や二度、必ず私のように、迷うことがあると思いますが、一度志した道に、邁進することこそ、男の本懐ではなかろうかと思います。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。