図 書
現代剣道百家箴
思い出すままに
河野 善雄(剣道範士八段)
武専(大日本武徳会武道専門学校)を卒業して県立広島工業学校の先生をしていた頃(昭和5年から14年まで)広島陸軍電信隊の技師小栗全三郎先生、呉海軍の堀正平先生、県警の古賀恒吉先生外多くの諸先輩方にお育て頂いた頃の思い出である。
「面数1万面」に達しない者は剣道の先生として一人前ではないと聞いて一途に稽古数を重ねた思い出がある。今66才になるが3校の高校で剣道を毎日指導していて稽古衣(剣道着)に着更えることが苦にならない習性になった。
「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず、その香り無きも味噌にあらず」味噌臭い人間になるな、然し味噌の香りが全然しないのでは駄目だよ、と小栗先生がいつも言っておられた。私は今もそうなりたいと思っている。
「客去って余情あり」ある朝、武徳殿で朝稽古をしての帰り、古賀先生に一寸お寄んなさい、と言われて先生のお宅へお邪魔したことがある。座敷に通って床の間を背にして坐らされ、奥様から真心のこもった朝御飯を頂いた。その後で刀を拝見して、先生が「客去って余情あり」という言葉がありますねとおっしゃった。こんな客になりたい、こんな客のもてなし方がしたいと今も思っている。
「拍子合わせて無拍子で打て」これも広島の武徳殿で、古賀先生、森末先生、小栗先生のお三人が何か色々と話しておられた時、この拍子合わせて無拍子で打てのお言葉がどなたかの口からか出た。この時私は、これは、それとなく私にお與え下さったのではないかと思ったのである。
「美人剣」小栗先生のお伴をして広島県の油木と言う所へ剣道の講習に出かけた時、小栗先生が「河野さん美人剣と言うことを知っていますか」と問われ、私は存じませんと答えた。美人剣とは肛門をしめることです。君は肛門がしまっていないよ、というより美人剣を忘れてはいないかと言う方が綺麗でしょうと教えて下さった。
「自他一如」私の勤め先の高校で今年の剣道部員の卒業生有志で道場へ記念の額を残したいので一筆書いてくださいと言うので下手な字で書いたのがこの言葉である。その後この意味を話してくれと言うので、自分もよい相手もよい。誰だったか剣道とは愛の極限だと言った人がある。先ず相手の立場になって考え、相手の立場になって言動を起したい。これが私の願いなんだ。然し実際は君達の立場を考えずにがみがみ言ったりして、すまん事と反省している。
これは、君達に心掛けて修養してもらいたいだけで無く、私のこれからの余生の指針でもあるわけだ。と話したことである。まことにお恥ずかしい次第である。
合掌
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。