図 書
現代剣道百家箴
追憶
小笠原 三郎(剣道範士八段)
米二俵を両足に結び下駄代りとし、背中には三俵を背負い、両手に一俵づつ計七俵を身につけて、道場を数回歩き廻ったり、巨大な猛牛の角を握って押し合いをし、最後には捻じ倒して押え込んだ大力無双で、種々の逸話の持主、児玉高慶先生は私の郷里に近い、秋田県鹿角郡柴平村小枝指(現秋田県鹿角市)の方で、昭和4年、42才の若さで亡くなられた。近郷一の豪農の家に成長された児玉先生は剣道五段、柔道五段、身長は五尺四寸(約164cm)、体重三十二貫(約120kg)と云う偉大な体の所有者でした。邸内に柔剣道場を建てて村の青少年には稽古衣袴、竹刀、 防具まで与えて稽古をさせていました。 暑中稽古、寒稽古には一族郎党を引き連れて上京し、本郷の旅館に泊まって昼は柔道を講道館で、夜は故中山博道先生の有信館で剣道の稽古に励んでいました。
私は中学生時代から先生の道場に宿泊して指導を受けました。その頃初二段級の私達に豪力な先生は全く力を出さず、太い腕関節、掌の裏を柔軟に使い、摺り上げ技、応じ技、応じ返し技、出小手と滑に稽古をつけて下さったことが今でも想い出されます。
児玉先生の亡くなられた時、私は丁度明治神宮大会に出場中であったために、告別式に参列出来ず、帰郷後三十五日法要に焼香すること出来ましたが、その折、故中山博道先生も参列されて居られ、その席で形見として亡き先生使用の小手を頂戴しました。大きな太い小手でその頃の私の腕の肘の所までとどく程のものでありましたが、私には大きな感激でした。以後数年間私はその小手を使い続けました。
「 一眼二足三胆四力」の教えは先生を通して私の脳裏にその頃からきざみ込まれていたような気がします。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。